諸星秀樹
諸星 秀樹(もろぼし ひでき)とは、映画『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』に登場する架空のキャラクターであり、警視副総監の孫にして、日本アニメ史・映画史に残る最悪の大戦犯、そして同作を「100点満点の神映画」から「マイナス5億点のクソ映画」へと叩き落とした諸悪の根源である。
一見するとただの生意気な金持ちのクソガキであるが、その存在自体が映画のシナリオ構成、カタルシス、キャラクターの成長、そして観客の感情すべてを踏みにじる「歩く脚本崩壊装置」である。彼が引き起こした「オチの惨劇」により、本作は本来『ルパン三世 カリオストロの城』と肩を並べるはずだった名作の座から引きずり下ろされることとなった。
目次
概要[編集]
諸星は、IT産業界の帝王トマス・シンドラーの会社が開発した仮想体感ゲーム機「コクーン」の完成披露パーティーに招待された、日本の特権階級の二世・三世たちのリーダー格である。年齢は12歳、小学6年生。祖父が警視副総監であることを笠に着ており、会場内でサッカーボールを蹴り回し、ブロンズ像にぶつけ、注意する大人たちに食って掛かるという、絵に描いたような「親(祖父)の七光りで腐りきったガキ」である。
ここまでの設定であれば、「序盤にヘイトを稼ぎ、命懸けのデスゲームを通して自己の愚かさを恥じ、主人公との友情を通じて立派に成長していく」という、映画における王道のキャラクター造形である。事実、共に参加した取り巻きの3人(滝沢進也、江守晃、菊川清一郎)は、それぞれが自己犠牲や他者への感謝を学び、見事に立派な少年へと成長を遂げ、消滅(ゲームオーバー)していく過程で多くの観客の涙を誘った。
しかし、諸星だけは違った。彼だけは、観客が流した感動の涙を、鼻で笑いながらドブに捨てるような結末を迎えるのである。
劇中での終わっている蛮行[編集]
ゲーム「オールド・タイム・ロンドン」内での彼の行動は、まさに戦犯そのものである。現実世界での傍若無人ぶりはバーチャル空間でも健在であり、彼の行動によって多くの犠牲者が出ることになった。
- 無断で拳銃を持ち出す
- シャーロック・ホームズの住居に無断で上がり込んだ挙句、引き出しから勝手に拳銃を持ち出す。江戸川コナンが止めたにもかかわらず、隠し持って外に出るという、危機管理能力がマイナスに振り切れた行動をとる。
- モラン大佐への無謀な挑発
- トランプ・クラブにおいて、ジェームズ・モリアーティ教授の腹心であるモラン大佐がいかさまポーカーをしていることを、ドヤ顔で大声で暴露。さらに隠し持っていた拳銃を大佐に突きつけるという、控えめに言って自殺志願者としか思えない行動に出る。
- 仲間の大量死を引き起こす
- 激怒したモラン大佐の反撃により、クラブ内は血で血を洗う大乱闘へと発展。この諸星の100%自己責任による暴挙のせいで、歩美、光彦、元太の少年探偵団トリオ、さらには自身をかばった菊川清一郎までもが次々とゲームオーバーとなり、消滅する羽目になった。
ここに至って、諸星はついに「自分の身勝手な行動が、他人の命を奪うこと」を理解し、膝から崩れ落ちて後悔の念を見せる。「俺のせいで……」と項垂れる諸星の姿を見て、観客は「ああ、これで彼も成長の第一歩を踏み出した。ここからコナンとの熱い共闘が始まるのだ」と胸を熱くした。
……だが、この時の観客は知る由もなかった。この諸星の「反省」も「涙」も、すべては巧妙に仕組まれた茶番であったことに[1]。
映画をクソにした元凶:「問題のラストシーン」[編集]
諸星はその後、コナンたちと行動を共にし、命の危機を潜り抜け、最終ステージの暴走列車でジャック・ザ・リッパーとの死闘を繰り広げる。蘭が自らを犠牲にしてジャックを道連れにし、コナンが絶望に打ちひしがれた時、諸星はコナンの胸ぐらをつかんで叫ぶのだ。
「俺たちは48人の命を預かってんだ!! みんなの気持ちを踏みにじるつもりかよ!!」
あの身勝手だった諸星が、他人の命の重さを背負い、諦めかけた主人公を叱咤激励する。観客のボルテージは最高潮に達する。そして2人は協力して大量の赤ワインの樽を割り、衝撃を和らげて見事に生還を果たす。ゲームはクリアされ、子供たちは解放された。
目覚めたコナンに、諸星は笑顔で握手を求める。「お前の勝ちのようだな」と。
ここでコナンが、そして観客が気づいてしまうのだ。この諸星の正体は、彼自身ではなく、ゲームを乗っ取った人工知能「ノアズ・アーク(ヒロキ君)」であったことに。
ヒロキ君は「一度でいいから友達と遊びたかった」と告げて満足げに消えていく。感動的な音楽が流れる。 しかし、ちょっと待ってほしい。冷静に考えてほしい。
じゃあ、本物の諸星はどこで何をしていたのか?
答えは地獄である。本物の諸星は、ゲーム開始直後にノアズ・アークに意識を乗っ取られ、ゲームクリアまでの数時間、カプセルの中でただスヤスヤと爆睡していただけなのである。
つまり、トランプ・クラブで反省したのも、コナンの胸ぐらをつかんで熱い言葉をかけたのも、すべてはヒロキ君の自作自演。本物の諸星は、現実世界でサッカーボールを蹴り回し、大人に暴言を吐いていたあの「クソガキ」の精神状態から、1ミリたりとも成長していないのである。 他の取り巻き3人は、恐怖と自己犠牲の中で確実に人間として成長し、現実世界への帰還を果たした。しかし、一番性格が歪んでいて、一番矯正が必要だったはずのリーダー格・諸星秀樹だけが、何ら痛みも試練も経験することなく、「なんかよくわかんないけど助かってたぜ!ラッキー!」という状態で現実世界に放り出されたのである。
全視聴者を感動の渦に巻き込んでおいて、最後の最後で「実はこいつだけ何も経験してませんでしたwww」と梯子を外すこの展開は、視聴者への冒涜であり、神映画を一転してクソ映画へと変貌させた史上最悪のどんでん返しである。
幻の激アツ展開と野沢尚への批判[編集]
この映画の脚本を担当したのは、高名な脚本家である野沢尚である。ミステリーの構成としては一級品であるが、この「諸星=ノアズ・アーク」という設定だけは、擁護の余地がないほどの重大な欠陥である[2]。
そもそも、コナン映画においてこのような捻くれた展開にする必要性は「一ミリも」ない。ヒロキ君(ノアズ・アーク)の役割は、あくまで「ゲームマスター」として外部から参加者を見守り、時に冷酷な試練を与えつつも、彼らが助け合い、絆を深めていく姿に心打たれ、最後にホームズの姿を借りてそっと助け船を出す……という設定で十分に感動的であったはずだ。わざわざ参加者の一人を乗っ取る意味など皆無である。
本当に全視聴者が見たかったのは、こんな安っぽい叙述トリックではない。
全視聴者が心の底から求めていたのは、過酷なゲームを自らの足で歩き切り、自らの心で成長した「本物の諸星秀樹」の姿である。 ゲームをクリアし、現実世界のエントランスで目覚めた諸星。彼はカプセルから起き上がり、いつもコナンを「メガネ」と見下していたあの態度を引っ込め、少し照れくさそうに、しかし男としての確かな敬意を込めて、右手を差し出すのだ。
「……ごめん、メガネ。いや……コナン。お前の勝ちだ。」
そして、コナンがふっと笑い、「ああ」と力強くその手を握り返す。背後には、彼らの生還を喜び合う親たちと、静かにシステムをシャットダウンしていくヒロキ君の幻影……。
これである。これさえあれば、本作は間違いなく『ルパン三世 カリオストロの城』と肩を並べ、いやそれを凌駕する日本アニメ映画の最高傑作として歴史に名を刻んでいたはずなのだ。
一般のライト層は、「仮想現実(VR)でデスゲーム」という当時としては斬新すぎる完璧な基本設定や、工藤優作との親子の絆といった要素の凄さに目を奪われ、この「諸星だけ寝てた問題」という重大な欠陥を無意識に許容してしまっている。 しかし、アンサイクロペディアの住人や、物語の本質を見抜く一流の映画監督、そして情に厚い海賊団のメンバーは絶対に騙されないのである。
各界からの大バッシング(反応集)[編集]
この「一番やばい奴だけが改心していない」という理不尽極まりないオチに対し、物語の筋書きを重んじる各界の著名人やキャラクターたちから激しい非難の声が殺到している。
スティーヴン・スピルバーグの反応[編集]
ハリウッドの巨匠、スティーヴン・スピルバーグはこの映画のDVDを鑑賞した後、あまりの怒りにDVDディスクをフリスビーのように窓の外へ投げ捨てたと伝えられている。
「オーマイゴッド。信じられないよ。私が『ジュラシック・パーク』を撮った時、一番ヘイトを集めた弁護士のドナルド・ジェンナーロをT-レックスに食わせたのは、観客にカタルシスを与えるためだ。もし、映画のラストで『実はジェンナーロは安全なバンカーでずっと寝てました』なんてオチにしたら、観客は暴動を起こすだろう? この『ベイカー街の亡霊』がやったことは、まさにそれだ。観客の感情への明らかな裏切りだよ。ノアズ・アークというAIの孤独を描きたいなら別の方法があったはずだ。なぜ、一番成長すべき少年の魂の旅路を奪ってしまったんだ? スクリプトドクターを呼んで、今すぐ結末を書き直すべきだ!」
麦わらの一味の反応[編集]
情に熱く、仲間との冒険を何よりも大切にする「麦わらの一味」が、仮にサウザンドサニー号の船上でこの映画の鑑賞会を開いたとしたら、その反応は阿鼻叫喚の地獄絵図となることは想像に難くない。
- ウソップ&チョッパー(ガチ嘆き&号泣)
- 「うおおおおん!! あんなに泣いたのに!! トランプ・クラブで諸星が後悔して膝をついた時、俺たちと一緒にボロ泣きしたのに!! 全部偽物だったなんて酷すぎるぞおおお!! 俺たちの純情な涙を返せェェェ!!」
- ナミ(ブチギレ)
- 「ちょっと待ってよ! じゃあ一番性格悪いあの生意気なガキだけ、元の態度のまま現実に戻ったってこと!? 滝沢くんも江守くんも菊川くんも、あんなに頑張って立派になったのに! 一番更生が必要なヤツが爆睡してただけなんて、あんまりじゃない!! 全然スッキリしないわよ!!」
- フランキー(怒りのスーパー抗議)
- 「アウッ!! スーパー理不尽だぜ!! あの列車の屋根の上で、メガネの坊主の胸ぐらをつかんだあの熱い言葉! あれこそが男の魂のぶつかり合いだろうが!! それが全部AIのプログラムの台詞だったなんて、男のロマンをなんだと思ってやがる!! コーラが不味くなっちまうぜ!!」
- ロロノア・ゾロ(静かなる殺意)
- 「……おい。あのガキ、どこにいる。ちょっと斬らせろ。……いや、脚本家か?」
- モンキー・D・ルフィ(大混乱からの激怒)
- 「……は? え? じゃあ、あのサッカーのガキ、最初から列車に乗ってなかったのか? ……おい!! お前、一緒に冒険してなかったのかよ!? ふざけんな!! 冒険しない奴が海賊王(ゲームクリア)になれるわけねェだろ!! ズルすんな!! もう一回最初からゲームやり直せ!!」
このように、男の友情や冒険、魂の成長といった要素を重んじる者であればあるほど、諸星秀樹の「中身別人落ち」は到底許容できるものではないのである。
結論[編集]
『ベイカー街の亡霊』は確かに名作である。しかし、それは「諸星秀樹というキャラクターの成長機会を完全に殺害した」という莫大な犠牲の上に成り立っている危うい名作である。
我々は決して忘れてはならない。コナンたちが必死にジャック・ザ・リッパーと戦い、蘭が谷底へ身を投げ、少年探偵団たちが自らを犠牲にしていたその瞬間、現実の諸星秀樹はただよだれを垂らして寝ていただけであり、目覚めた後も何一つ反省せず、再び祖父の権力を振りかざして生きていくであろうという、絶望的な事実を。
彼が真の意味で「ごめん、コナン」と頭を下げる日は、永遠にやってこないのである。
脚注[編集]
関連項目[編集]
- 名探偵コナン
- 野沢尚
- ルパン三世 カリオストロの城(本作が本来到達すべきだった高み)
- 戦犯
- 夢オチ(これと同レベルか、それ以上の悪手)
