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		<title>大坂城 - 変更履歴</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;新しいページ: &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;大坂城&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;大阪城&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;、古くは&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;おおざかじょう&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;・一般には&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;おおさかじょう&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;と読む）は、&lt;a href=&quot;/mediawiki/index.php?title=%E6%91%82%E6%B4%A5%E5%9B%BD&amp;amp;action=edit&amp;amp;redlink=1&quot; class=&quot;new&quot; title=&quot;摂津国 (存在しないページ)&quot;&gt;摂津国&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%B1%E6%88%90%E9%83%A1&amp;amp;action=edit&amp;amp;redlink=1&quot; class=&quot;new&quot; title=&quot;東成郡 (存在しないページ)&quot;&gt;東成郡&lt;/a&gt;大坂の地にあ...&amp;#039;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;'''大坂城'''（'''大阪城'''、古くは'''おおざかじょう'''・一般には'''おおさかじょう'''と読む）は、[[摂津国]][[東成郡]]大坂の地にあった[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]の[[城]]である。別称は'''金城'''あるいは'''錦城'''で、大坂が[[近代]]に[[大阪]]と表記するように改まったために、現在は'''大阪城'''と書くことも多い。[[豊臣政権]]の本城であったが、[[大坂夏の陣]]で焼失し豊臣氏が滅亡した後再建され[[徳川幕府]]の西日本支配の拠点となった。&amp;lt;!--したがって、しばしば大阪の人がいう『太閤さん(豊臣秀吉)が建てた城』というのは正確には間違いである。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
城址は現在の[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]の[[大阪城公園]]。[[名古屋城]]、[[熊本城]]と共に日本[[三名城]]の一つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 立地 ==&lt;br /&gt;
大坂城は、[[上町台地]]の北端に位置する。かつてこの地のすぐ北の台地下には[[淀川]]の本流が流れる天然の要害であり、またこの淀川を上ると[[京都]]に繋がる交通の要衝でもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
台地北端に立地する大坂城では、北・東・西の3方は台地上にある本丸からみて低地になっている。北の台地下には淀川とその支流が流れており、天然の堀の機能を果たすとともに、城内の堀へと水を引き込むのに利用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 構造 ==&lt;br /&gt;
大坂城は、[[豊臣氏]]が築城した当初の城と、その落城後に[[徳川氏]]が再建した城とで縄張や構造が変更されている。現在地表から見ることができる縄張はすべて、[[江戸時代]]のものである。ただし、堀の位置、門の位置などは秀吉時代と基本的に大きな違いはないとされている。&amp;lt;!--これは秀吉時代の縄張がそれなりの合理性があった証左とも言える。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
縄張は輪郭式平城であり、本丸を中心に大規模な郭を同心円状に連ね、間に内堀と外堀を配する。秀吉は大坂の市街から天守がよく見えるよう天守の位置、街路などを工夫したとも伝えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
台地の北端を造成して築城した大坂城の防衛上の弱点は大軍を展開できる台地続きの南側で、西方から南方を囲むように惣堀がめぐらされ、冬の陣直前には玉造門の南方に真田信繁により半月形の出城「[[真田丸]]」が構築された。果たして冬の陣はこの方面から攻めかかる徳川方と篭城の豊臣方との間で激戦となった。&amp;lt;!--一説によれば、築城者である秀吉も、南側の防御の弱さを気にしていたといわれる。また、あるとき家康は御伽衆を集め座興として大坂城を攻める時はどうすればよいかと問い、その答として南方から攻め上げる事を話したが、のちに家康は冬の陣においてその通りの攻城を行ったという逸話もある。いずれも真偽は不詳である。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 復興天守 ===&lt;br /&gt;
現在、大坂城（大阪城）を象徴し、大阪市の象徴となっているのが、大阪城天守閣（右写真）である。[[1928年]]に当時の[[大阪市長]][[關一]]によって再建が提唱され、[[1931年]]に竣工した。[[昭和]]以降、各地で建てられた復興天守の第一号である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
建物は、徳川大坂城の天守の石垣基礎上に、鉄骨とコンクリートで建てられた。天守閣の中は'''大阪城天守閣'''という博物館になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
外観は、絵図を基に新たに設計されたものである。大坂城の天守は、豊臣大坂城と徳川大坂城のそれぞれで建っていた場所も外観もまったく異なるが、復興天守閣では初層から4層までは徳川時代風の白漆喰壁とした一方、5層目は豊臣時代風に黒漆に金箔で虎や鶴の絵を描いている。この折衷に対しては諸々議論があり、豊臣時代の形式に統一するべきとする意見もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]]から[[1997年]]にかけて、'''平成の大改修'''が行われた。この時、建物全体に改修の手が加えられ、構造は[[阪神・淡路大震災]]級の揺れにも耐えられるように補強され、外観は壁の塗り替え、傷んだ屋根瓦の取り替えや鯱・鬼瓦の金箔の押し直しが行われた。また、[[身体障害者]]や[[高齢者]]、[[団体]][[観光]]客向けに[[エレベーター]]が西側に取り付けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
豊臣時代・徳川時代の天守がいずれも30数年で焼失したのに比べ、昭和の天守は建設後70年を超え、最も長命の天守になった。[[1997年]]、国の[[登録有形文化財]]に登録された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 遺構 ==&lt;br /&gt;
現在、城内には、大手門、焔硝蔵、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、金明水井戸屋形、桜門などの遺構が残っており、国の[[重要文化財]]に指定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、現存する[[石垣]]も多くが当時の遺構である。江戸時代の大坂城は、徳川幕府の天下普請によって建設されたため、石垣には[[瀬戸内海]]の島々などから採石された巨石が用いられており、近づくとその石を寄進した[[大名]]を示す刻印がされているのが目を引く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徳川氏は大坂城を再建するにあたり、豊臣大坂城の跡を破却して盛り土した上に、縄張を変更して築城したため、現在大坂城址で見ることができる遺構や二重の堀、石垣は、みな江戸時代の徳川大坂城のものである。大坂の陣で埋め立てられた外堀を含む豊臣大坂城の遺構は、大阪城公園や周辺のビルや道路の地下に埋没したままで、発掘も部分的にしか行なわれていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、[[村川行弘]]（現・[[大阪経済法科大学]][[名誉教授]]・[[考古学]]）らによる昭和中期の大坂城総合調査により徳川氏本丸の地下からは秀吉時代の石垣が見つかっており、現在は普段は一般には開放されていない蓋付きの穴の底に保存されている。また、[[2003年]]には大手前三の丸水堀跡の発掘調査で、堀底からは障壁のある[[堀|障子堀]]が検出され、堀の内側の壁に[[トーチカ]]のような遺構も見つかった。また、この発掘によって、堀自体が大坂冬の陣のときに急工事で埋められたことを裏付ける状況証拠が確認されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 豊臣大坂城 ===&lt;br /&gt;
[[1583年]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[石山本願寺]]とその寺内町であった地に、[[豊臣秀吉]]が築城を開始した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
完成に1年半を要した本丸は、石山本願寺跡の台地端を造成し、石垣を積んで築かれたもので、巧妙な防衛機能が施された。[[天守]]は絵画史料によると外観5層で、瓦などに金箔をふんだんに用いた華美なものであった。秀吉の死去までにさらに二の丸、三の丸、[[総構え]]が建設され、三重の堀と運河に囲まれた堅固な豊臣大坂城が完成する。大坂城が築城されていた途中、秀吉を訪問して大坂城を案内された[[大友宗麟]]は、城のあまりの見事さに感嘆し、大坂城を三国無双と称えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
築城者である秀吉自身は、京都に[[聚楽第]]、[[伏見城]]を次々に建造し、大坂城よりもむしろそちらに居住した。秀吉死後の[[1599年]]、秀吉の遺児[[豊臣秀頼]]が伏見城から完成した大坂城本丸へ移り、また政権を実質的に掌握した[[五大老]]の[[徳川家康]]も大坂城西の丸に入って政務を執った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1603年]]に徳川幕府が成立した後も、秀頼は大坂城に留まり摂津を支配していたが、[[1614年]]の[[大坂の役|大坂冬の陣]]で家康の率いる大軍に攻められ、篭城戦を行った。そして、その講和に際して惣構・三の丸の破却が取り決められるが、さらに二の丸の外堀が埋め立てられてしまい、大坂城は内堀と本丸のみを残す裸城にされてしまう。秀頼は堀の再建を試みたために講和条件破棄とみなされ、冬の陣から4か月後（[[1615年]]）の[[大坂の役|大坂夏の陣]]で大坂城は落城焼失、豊臣氏は滅亡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 徳川大坂城 ===&lt;br /&gt;
落城に際して灰燼に帰した大坂城は初め家康の外孫[[松平忠明]]に与えられたが、[[1619年]]に幕府直轄領（[[天領]]）に編入された。翌[[1620年]]から[[徳川秀忠]]によって大坂城の再建が始められ、3期にわたる工事を経て[[1629年]]に完成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、全体に数メートルの盛り土をした上により高く石垣を積んだので、豊臣大阪城の遺構は地中に埋もれてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天守の構造も全く作り変えられた。徳川氏の大坂城は、城郭の広さは豊臣時代の4分の1の規模になり小さくなったが、天守は豊臣氏の天守とは位置も違い、建物の外観は同じ5層であったが、大きさも高さも豊臣氏の天守を越えるものであった。大坂城をより豪壮な城郭として豊臣氏の物を圧殺するかごとく全く新しく築く事で、豊臣氏の記憶を封じ込め、かつての豊臣氏の勢威を凌駕する徳川氏の威信を全国に示そうとしたものといわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幕府直轄の城である徳川大坂城の城主は[[徳川将軍家]]の歴代[[征夷大将軍|将軍]]自身であり、[[大身]]の[[譜代大名]]から選ばれる[[大坂城代]]が預かり、小身の譜代大名から選ばれる2名の[[大坂定番]]と4名の[[大坂加番]]が警備を担当した。[[江戸時代]]にはたびたび火災による損傷と修復を繰り返すが、特に[[1665年]]には落雷によって天守を焼失し、以後は天守を持たない城であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1868年]]、[[鳥羽・伏見の戦い]]の後、幕府軍は大坂城に敗走。将軍[[徳川慶喜]]は船で[[江戸]]に逃走し、大坂城は新政府軍に開城した。この前後の混乱のうちに出火し、城内の建造物はほとんど焼失してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 明治以後の復興大阪城 ===&lt;br /&gt;
[[明治]]新政府は城内の敷地を[[大日本帝国陸軍|陸軍]]用地に転用し、城内への民間人の立ち入りは禁じられた。東側の国鉄城東線（現在の大阪環状線）までの広大なエリアには兵器工場（[[大阪砲兵工廠]]）が設けられ、これがため後の太平洋戦争時米軍の爆撃目標となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1870年]]　陸軍は[[午砲台]]を設置し、報時業務を開始した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1885年]]、[[和歌山城]]二の丸より御殿の一部が移築され、紀州御殿と称される。[[1888年]]には、本丸桜門が復元された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1928年]]、当時の[[大阪市長]][[關一]]は、天守の再建を提案し、集められた市民の募金150万円によって陸軍[[第4師団 (日本軍)|第四師団]]庁舎移転と天守建設がすすめられた。そして[[1931年]]、鉄骨とコンクリートによる復興天守閣が竣工する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[太平洋戦争]]では、[[明治維新]]時に焼失を免れていた施設に損傷を受け、二番櫓・三番櫓・未申櫓・伏見櫓・京橋口門が焼失。青屋門が大破した。特に本土終戦前日の[[8月14日]]の空襲は、1トン[[爆弾]]が多数投下されるほど猛烈で、近隣の[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]は巻き添えを食らって、避難していた乗客に多数の死傷者が出たほどだったが、このとき[[毎日新聞]]大阪本社屋上から撮影された「天守閣の背景に黒煙が濛々と上がる」光景は、後に「大阪&amp;lt;!--大「坂」じゃないのよね--&amp;gt;夏の陣」とも呼称される壮絶なものであった。しかし、復興天守閣自体は焼失を免れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
終戦後には、城内の陸軍用地が進駐軍に接収され、[[1947年]]に米軍の失火により[[紀州御殿]]が焼失した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1948年]]の接収解除後は建物の修理が進められ、外堀を含む広域が大阪城公園に整備された。しかし、[[1950年]]の[[ジェーン台風]]によりまたもや損傷を受けたことから、本格的な補修事業が開始された。あわせて[[学術調査]]も行われ、[[1959年]]には地下から豊臣時代の遺構が発見された。本丸内の陸軍師団司令部の旧施設は一時大阪府警本部の庁舎（後に市立博物館）として使用され、石垣に囲まれた一角では拳銃の射撃訓練も行われた（大阪府警の射撃場は公園内玉造口付近に現存）。工廠跡は、長らく放置され、残された大量の鉄や銅の屑を狙う「アパッチ族」が跳梁し[[小松左京]]や[[開高健]]の小説の舞台ともなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1983年]]には「大阪築城400年まつり」に合わせ、JR[[大阪環状線]]に「[[大阪城公園駅]]」が新設され、[[大阪城ホール]]も開館された。残されていた工廠跡にも次々と大企業のビルが建ち並び、城の北東側に「[[大阪ビジネスパーク]]」が出現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
復興天守閣は現在も健在であり、大阪市の象徴としてそびえ立ち、周囲には大阪城公園が整備されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文化財 ==&lt;br /&gt;
=== 重要文化財 ===&lt;br /&gt;
*大手門&lt;br /&gt;
*塀　3棟（大手門南方、大手門北方、多聞櫓北方）&lt;br /&gt;
*多聞櫓&lt;br /&gt;
*千貫櫓&lt;br /&gt;
*乾櫓&lt;br /&gt;
*一番櫓&lt;br /&gt;
*六番櫓&lt;br /&gt;
*焔硝蔵&lt;br /&gt;
*金蔵&lt;br /&gt;
*金明水井戸屋形&lt;br /&gt;
*桜門&lt;br /&gt;
=== 登録有形文化財 ===&lt;br /&gt;
*天守&lt;br /&gt;
=== 特別史跡 ===&lt;br /&gt;
*大阪城跡（1953年8月31日指定）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 交通機関 ==&lt;br /&gt;
*[[西日本旅客鉄道|JR西日本]] [[大阪城公園駅]]&lt;br /&gt;
*[[大阪市営地下鉄]]・[[京阪電気鉄道|京阪電鉄]] [[天満橋駅]] &lt;br /&gt;
*大阪市営地下鉄 [[谷町四丁目駅]]&lt;br /&gt;
*大阪市営地下鉄・JR [[森ノ宮駅]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 友好城郭 ==&lt;br /&gt;
*[[上田城]]&lt;br /&gt;
**2006年10月10日、[[大阪市]]の[[關淳一]]市長と[[上田市]]の[[母袋創一]]市長が、大阪城天守閣二階会議室で提携書に調印。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
[[1970年]]に開催された[[日本万国博覧会]]での[[松下電器]]と[[毎日新聞]]の企画による[[タイムカプセル]]が天守閣前に5,000年後に開封されることを託して埋設されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大阪城を舞台とする作品 ==&lt;br /&gt;
*[[ゴジラシリーズ]]&lt;br /&gt;
**「[[ゴジラの逆襲]]」&lt;br /&gt;
**「[[ゴジラVSビオランテ]]」&lt;br /&gt;
*[[ガメラ|昭和ガメラシリーズ]]&lt;br /&gt;
**「[[大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン]]」&lt;br /&gt;
**「[[ガメラ対大魔獣ジャイガー]]」&lt;br /&gt;
*[[ウルトラシリーズ]]&lt;br /&gt;
**「[[ウルトラマン]]」&lt;br /&gt;
**「[[ウルトラマンダイナ]]」&lt;br /&gt;
*「[[大坂城物語]]」&lt;br /&gt;
*「[[梟の城]]」&lt;br /&gt;
*[[テレビゲーム]]&lt;br /&gt;
**[[CAPCOM VS. SNK 2]]（[[ドリームキャスト]]、[[プレイステーション2]]、[[ニンテンドーゲームキューブ]]、[[XBOX]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 岡本良一『大坂城』岩波書店、1970年&lt;br /&gt;
* 『大坂城』学習研究社、1994年&lt;br /&gt;
* 『復元大系日本の城5 近畿』ぎょうせい、1992年&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--*大坂城内見聞録：1586年（天正14）に豊後国の戦国大名[[大友義鎮]]（宗麟）が秀吉に謁見した際に書かれた書状。築城途中の様子が記されている資料。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[日本の城一覧]]&lt;br /&gt;
*[[日本100名城]]&lt;br /&gt;
*[[大坂藩]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.museum.or.jp/osakajo/ OSAKA CASTLE RENEWAL ANNOUNCEMENT HOME PAGE]&lt;br /&gt;
*[http://www.osakacastle.net/ 大阪城天守閣]&lt;br /&gt;
*[http://www.tourism.city.osaka.jp/ja/castle/history/index.htm 大阪城]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の城|おおさかしよう]]&lt;br /&gt;
[[Category:特別史跡|おおさかしよう]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府の史跡|おおさかしよう]]&lt;br /&gt;
[[Category:名勝|おおさかしよう]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府の歴史|おおさかしよう]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪市の建築物・観光名所|おおさかしよう]]&lt;br /&gt;
[[Category:中央区 (大阪市)|おおさかしよう]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Kyouichi</name></author>	</entry>

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