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		<title>キューバ危機 - 変更履歴</title>
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		<title>Fromm: ページの作成：「ソ連製MRBM（[[ミサイル）...」</title>
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				<updated>2013-03-16T11:45:56Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ページの作成：「&lt;a href=&quot;/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Cubacrisis_17_Oct_1962.jpg&quot; title=&quot;ファイル:Cubacrisis 17 Oct 1962.jpg&quot;&gt;ソ連製MRBM（[[ミサイル&lt;/a&gt;）...」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;[[画像:Cubacrisis 17 Oct 1962.jpg|thumb|300px|right|キューバ国内のソ連製MRBM（ミサイル）発射基地の航空写真|ソ連製MRBM（[[ミサイル]]）発射基地の航空写真]]&lt;br /&gt;
'''キューバ危機'''（キューバきき, ''The Cuban Missile Crisis''）は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のすぐ南に位置する小国に過ぎない[[キューバ]]を舞台に、[[1962年]][[10月14日]]から[[10月28日|28日]]までの14日間に亘って米ソ間の[[冷戦]]の緊張が、最悪の場合全世界を巻き込むことになる[[第三次世界大戦]]の勃発を意味する[[核戦争]]寸前まで達した危機的な状況のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
===アメリカとキューバの対立===&lt;br /&gt;
[[Image:Fidelcastro1978.jpg|thumb|フィデル・カストロ首相]]&lt;br /&gt;
[[Image:Cubacrisis 01 Nov 1962.jpg|thumb|サン・クリストバルに配置されたソ連のMRBM]]&lt;br /&gt;
[[Image:CMC Gromyko.jpg|thumb|アンドレイ・グロムイコ駐米ソ連特命全権大使（右から2番目）らと会談するケネディ大統領]]&lt;br /&gt;
[[File:U-2_Spy_Plane_With_Fictitious_NASA_Markings_-_GPN-2000-000112.jpg|thumb|U-2偵察機]]&lt;br /&gt;
[[Image:LeMay Cuban Missile Crisis.jpg|thumb|[[カーチス・ルメイ]]空軍参謀総長（右から2番目）らと会談するケネディ大統領]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1959年]]1月の[[キューバ革命]]で親米の[[フルヘンシオ・バティスタ]]政権を打倒し、その後アメリカを訪問し、経済援助要請を申し入れたキューバの[[フィデル・カストロ]]首相は、公式会談に欠席した[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]大統領（アイゼンハワーが欠席した理由は[[ゴルフ]]とも言われる）に代わって会談した[[リチャード・ニクソン]]副大統領に、「共産主義者」であるとの報告をされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
カストロはアイゼンハワーの非礼とその報告に憤慨し、その上にアメリカがカストロをあからさまに敵視し始めたことから、アメリカと冷戦下で対峙していた[[ソビエト連邦|ソ連]]との接触を開始することとなる。それに反発したアメリカは、[[1961年]]1月にアイゼンハワーを継いで就任した[[ジョン・F・ケネディ]]大統領のもとで、[[ピッグス湾事件]]などを起こし軍事力でカストロ政権打倒をはかるも失敗した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ピッグス湾事件の7カ月後の1961年8月、ケネディ政権はエドワード・ランズデール将軍を作戦立案者に指名し、政権の総力を挙げてカストロ政権打倒を目指すマングース作戦(Operation MONGOOSE)を極秘裏に開始し、軍事訓練を施した亡命キューバ人をキューバ本土に派遣して破壊活動を実施させ、またCIAを中心にカストロ暗殺計画、キューバ侵攻作戦の計画立案を進めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソ連によるキューバへのミサイル配備とは無関係に進められたマングース作戦は徐々に速度を上げて進捗し、米軍によるキューバ侵攻作戦の準備は1962年10月20日に完了する予定であった。それは奇しくもキューバへのミサイル配備計画とほとんど時期を一にするものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ソ連の核ミサイル配備===&lt;br /&gt;
そのような状況下で、キューバとソ連の関係は一層親密化し、カストロはアメリカのキューバ侵攻に備えてソ連に武器の供与を要求しはじめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしソ連は表立った武器の供与はアメリカを刺激し過ぎると考え、1962年には、ソ連は兵器の提供の代わりに[[核ミサイル]]をキューバ国内に配備する『アナディル作戦』を可決し、キューバ側のカストロもこれを了承すると、ソ連製核ミサイルがキューバに配備されはじめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『アナディル作戦』の背景には、当時核ミサイルの攻撃能力で大幅な劣勢に立たされていたソ連がその不均衡を挽回する狙いがあった。アメリカは本土にソ連を攻撃可能な大陸間弾道ミサイルを配備し、加えて西ヨーロッパ,トルコに中距離核ミサイルを配備していた。これに対し、ソ連の大陸間弾道ミサイルはまだ開発段階で、潜水艦・爆撃機による攻撃以外にアメリカ本土を直接攻撃する手段を持たなかったといわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1962年7月から8月にかけて、ソ連の貨物船が集中的にキューバの港に出入りするようになったため、アメリカ軍はキューバ近海を行き来する船舶や、キューバ国内に対する偵察飛行を強化していた。同年[[10月14日]]に[[アメリカ空軍]]の[[ロッキード]][[U-2_(航空機)|U-2偵察機]]が、アメリカ本土を射程内とするソ連製[[準中距離弾道ミサイル]] (MRBM) の存在を発見、さらにその後3つの[[中距離弾道ミサイル]] (IRBM) を発見した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===対立激化===&lt;br /&gt;
これに対してアメリカ政府は激烈な反応を示し、ケネディ大統領は[[エクスコム]]（国家安全保障会議執行委員会）を設置し、ミサイル基地への空爆を主張する[[国防総省]]や[[アメリカ中央情報局|CIA]]の強硬論を抑えて、第1段階としてキューバ周辺の公海上の[[海上封鎖]]及びソ連船への[[臨検]]を行うことでソ連船の入港を阻止しようとした（これに対してソ連船は海上封鎖を突破することはせず、また臨検を受けることをよしとせず引き返した）。そしてアメリカ政府は[[北大西洋条約機構|NATO]]や[[米州機構]]の指導者たちに状況を説明し、彼らの支持を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またケネディは[[10月18日]]に[[アナトリー・ドブルイニン]]駐米ソ連[[特命全権大使]]を[[ホワイトハウス]]に呼びつけ懸念を表明し、ソ連政府の対応を迫ると同時に、[[10月22日]]にテレビ演説で国民にキューバにミサイルが持ち込まれた事実を発表し、ソ連を非難した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにその後アメリカ軍部隊への[[デフコン]]2（準戦時体制）を発令、ソ連との全面戦争に備えアメリカ国内の[[アトラス (ミサイル)|アトラス]]や[[タイタン (ロケット)|タイタン]]、[[PGM-17 (ミサイル)|ソー]]、[[ジュピター (ミサイル)|ジュピター]]といった[[核弾頭]]搭載の[[弾道ミサイル]]を発射準備態勢に置いた他、[[日本]]や[[トルコ]]、[[イギリス]]などに駐留する基地を臨戦態勢に置いた。また、ソ連も国内の[[R-7 (ロケット)|R-7]]やキューバのR-12 (ミサイル)を発射準備に入れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、デフコン2の発令を受けて「全面核戦争」の可能性をアメリカ中の[[マスメディア|マスコミ]]が報じたことを受け、アメリカ国民の多くが[[スーパーマーケット]]などで水や食料などを買い占める事態が起きた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===交渉開始===&lt;br /&gt;
[[Image:キューバ危機1.jpg|350px|thumb|キューバ危機の時に撮影された[[ケネディ大統領]]と[[ジョンソン副大統領]](1962年)]]&lt;br /&gt;
その一方でアメリカはソ連へのミサイル撤去の交渉を開始する。その際[[10月25日]]の緊急国連安全保障会議でのアメリカ国連大使の[[アドレー・スティーブンソン]]が、キューバのミサイル基地を撮影した写真を示し、核ミサイルの存在を認めるよう迫ったが、ソ連国連大使の[[ワレリアン・ゾリン]]にはぐらかされる有名なやり取りは、当時の米ソ間の緊迫感を示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月26日]]にソ連からアメリカへ妥協案が示される。その内容は、アメリカがキューバに対する軍事行動をしないなら、キューバの核ミサイルを撤退させるというものだった。しかし、[[10月27日]]に内容が変更され、トルコに配備されているジュピター・ミサイルの撤退を要求する。これは、アメリカにとって受け入れがたいものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにキューバ上空を偵察飛行していた[[アメリカ空軍]]の[[U-2 (航空機)|ロッキードU-2]]偵察機が、ソ連軍の[[地対空ミサイル]]で撃墜されたこの日は「暗黒の土曜日」と呼ばれ、誰もが[[第三次世界大戦]]の勃発を現実のものとして受け入れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ミサイル撤去===&lt;br /&gt;
しかし、ワシントン時間[[10月28日]]午前9時、[[ニキータ・フルシチョフ]][[首相]]はモスクワ放送でミサイル撤去の決定を発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この決定は、ケネディ大統領が教会に礼拝に訪れ（アメリカ大統領が通例として戦争突入前に教会で祈りを捧げる、という憶測）また、再度TV演説を行う、という情報を受け、ここでアメリカによる戦争開始声明が読み上げられると同時にキューバへの空爆が実行に移される、という憶測に狼狽したソ連首脳部の決定で、その放送予定に間に合うよう、外交ルートを通さずにモスクワ放送を通じてロシア語でミサイル撤去声明を読み上げるという形で急遽行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしこれらは誤報・誤解で、実際にはその放送は単なる海上封鎖演説の再放送番組にすぎなかったことが後に判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フルシチョフはケネディの条件を受け入れ、キューバに建設中だったミサイル基地やミサイルを解体し、ケネディもキューバへの武力侵攻はしないことを約束、その後[[1963年]]4月[[トルコ]]にあるNATO軍の[[ジュピター (ミサイル)|ジュピター・ミサイル]]の撤去を完了した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キューバのカストロ議長は、この措置に激怒した。キューバが国家を挙げて対アメリカ戦に備えていたのにもかかわらず、キューバの頭上で政治的な妥協を、米ソで決定してしまったからである。一方、後のフルシチョフ首相の回想によれば、アメリカの度重なる偵察と海上封鎖に興奮したカストロはフルシチョフにアメリカを核攻撃するように迫ったとされ、ソ連の方も、核戦争をもいとわない[[小国]]の若手革命家と次第に距離を置くようになっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===その後===&lt;br /&gt;
その後キューバに対するアメリカの介入も減少し、冷戦体制は[[平和共存]]へと向かっていくことになる（[[デタント]]）。この事件を教訓とし、首脳同士が直接対話するための[[ホットライン]]が両国間に引かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、カストロは、米ソの頭越しの妥協に不快感を示し、ソ連への不信感をも募らせていくことになる（[[チェコ事件]]で和解）。カストロはその後ソ連に2回訪問し、フルシチョフと2人で事件について冷静に振り返っている。カストロは自らがアメリカを核攻撃をするようにソ連に迫ったことを記憶していないとしたが、フルシチョフは通訳の速記録まで持ってこさせて、カストロに核攻撃に関する自らの過去の発言を認めさせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:JFK meeting Khrushchev, 3 June 1961.png|thumb|フルシチョフ（左）とケネディ]]&lt;br /&gt;
冷戦後わかったことは、キューバ危機の時点でソ連はすでにキューバに核ミサイル（ワシントンを射程に置く中距離核弾頭ミサイルR12、R14、上陸軍をたたく戦術短距離核ミサイル「ルナ」）を9月中に42基（核弾頭は150発）配備済みであり、グアンタナモ米軍基地への核攻撃も準備済みであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに臨検を受けた時には自爆するよう命じられたミサイル（核弾頭を除く）搭載船が封鎖線を目指していた為、アメリカによる臨検はほとんど効果がなかったことである。また兵士の数は米側の見積もりの数千名ではなく、4万名であった。[[カーチス・ルメイ]]空軍参謀総長をはじめとするアメリカ軍はその危険性に気付かず、圧倒的な兵力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もしフルシチョフの譲歩がなく、ルメイの主張通りミサイル基地を空爆していたら、残りの数十基のミサイルが発射され、世界は第三次世界大戦に突入していた可能性が高い。しかし実はこの時点でアメリカ軍もソ連軍も相手を壊滅させるほどの核兵器がなかった。そのため中距離ミサイルをアメリカ軍はトルコに、ソ連はキューバに配備した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 解決までの経緯 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Robert F. Kennedy 1964.jpeg|thumb|ロバート・ケネディ（1964年）]]&lt;br /&gt;
なぜソビエト連邦のフルシチョフがキューバからのミサイル撤退を受け入れたかについては様々な説がある。よく聞かれる説には次のようなものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ワシントン時間10月28日午前9時にケネディが緊急テレビ演説をするという情報がフルシチョフのもとに入った。そしてその演説に先立ってケネディは教会で礼拝をするという。開戦前のアメリカ大統領は開戦を告げる前に必ず礼拝に行くと聞いていたフルシチョフは、ケネディが開戦を決意したと勘違いしてミサイル撤退を決意した、というものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、当時は情報機関の間では様々な不確実な情報が飛び交っており、ソ連のアレクサンダー・アレクセーエフ駐キューバ大使のところには「数時間以内にアメリカが武力侵攻するという確実な情報」が届けられ、これを知って激高したカストロはフルシチョフにアメリカを核攻撃するように迫った。しかし、老練なフルシチョフは、この情報はアメリカの情報機関がソ連の情報機関に意図的に流したデマだとして取り合わなかった。ケネディが教会で礼拝をするという話を聞いてフルシチョフがあわててミサイル撤退を決意したなどというのは、ゴシップ誌の報道に過ぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ケネディの側近だった[[セオドア・C・ソレンセン]]の著書「ケネディ」では、キューバ危機の米ソ対決が沈静化したのは、[[ロバート・ケネディ]]司法長官と[[アナトリー・ドブルイニン]]駐米大使が、[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]ネットワークの記者ジョン・スカリーの仲介で深夜のワシントン市内の公園で密かに会って話し合ったときであったことが記されている。その会談で実際にどのようなやり取りがなされたかは具体的には書かれていない。しかし、当時のソ連の権力機構から考えて、駐米大使に決定的な権限が与えられていたとは考えられず、会談の存在が事実だとしても、この会談が問題解決に決定的な役目を果たしたとは考えられない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお当時の両国の核戦力は、ソ連の核爆弾保有数300発に対してアメリカは5000発と、ソ連は圧倒的に不利な状況であり、仮に両国の全面戦争という事態になればソ連は核兵器を用いてアメリカにある程度のダメージは与えられたものの敗北するのは決定的であった。[[第二次世界大戦]]時に[[ドイツ]]を相手に苦戦した経験を持つフルシチョフはこのことをよく理解しており、アメリカの強い軍事力と強い姿勢に屈服せざるをえなかったのが国際政治の現実であったと考えられている。実際にフルシチョフは「正直なところ、アメリカが戦争を開始しても、当時のわれわれにはアメリカに然るべき攻撃を加えられるだけの用意はなかった。とすると、われわれはヨーロッパで戦争を始めることを余儀なくされただろう。そうなったらむろん第三次世界大戦が始まっていたいにちがいない」と後に回想している。その一方、フルシチョフとしては、キューバに対するアメリカの干渉を阻止したことで満足したとも考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この2年後にフルシチョフは失脚することになるが、フルシチョフが更迭された中央委員会総会では、キューバ危機におけるアメリカへの「譲歩」が非難されることになる。また、このキューバ危機を教訓として2つの国の政府首脳間を結ぶ緊急連絡用の直通電話[[ホットライン]]がソ連とアメリカ間に初めて設置された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関係者　（前職・その後）==&lt;br /&gt;
*[[ジョン・F・ケネディ]]　大統領　45歳　　（上院議員・暗殺）&lt;br /&gt;
*[[リンドン・B・ジョンソン]]　副大統領　　54歳　（民主党上院院内総務・大統領）&lt;br /&gt;
*[[ロバート・マクナマラ|ロバート・S・マクナマラ]]　国防長官　46歳　（フォード自動車社長・世界銀行総裁）&lt;br /&gt;
*[[ロバート・F・ケネディ]]　司法長官　36歳（大統領の実弟）（上院マクラレン委員会法律顧問・上院議員、暗殺）&lt;br /&gt;
*[[ディーン・ラスク]]　国務長官　53歳　（ロックフェラー財団理事長・ジョージア大学教授）&lt;br /&gt;
*[[マクジョージ・バンディ]]　国家安全保障担当大統領特別補佐官　43歳（ハーバード大学文理学部長・フォード財団理事長）&lt;br /&gt;
*[[セオドア・ソレンセン]]　大統領特別顧問　34歳　&lt;br /&gt;
*[[マクスウェル・D・テイラー]]　統合参謀本部議長（陸軍大将）　61歳　（陸軍参謀総長（退役）・？）&lt;br /&gt;
*[[ジョン・マコーン|ジョン・A・マコーン]]　CIA長官　60歳（原子力委員会委員長・？）&lt;br /&gt;
*[[アドレー・スティーブンソン]]　国連大使　62歳&lt;br /&gt;
*[[ケネス・オドネル|ケネス・オドンネル]]　大統領補佐官　38歳&lt;br /&gt;
*[[カーチス・ルメイ]]　空軍参謀総長（空軍大将）55歳&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[ニキータ・フルシチョフ|ニキタ・S・フルシチョフ]]　ソ連首相・第一書記　68歳&lt;br /&gt;
*[[アンドレイ・グロムイコ|アンドレイ・A・グロムイコ]]　外務大臣　53歳　（34歳で駐米大使、外務次官・政治局員、最高会議幹部会議長）&lt;br /&gt;
*[[アナトリー・ドブルイニン|アナトリー・F・ドブルイニン]]　駐米大使 42歳（？・ソ連共産党中央委員会書記兼国際部長）&lt;br /&gt;
*[[ワレリアン・ゾリン|ヴァレリアン・ゾーリン]]　国連大使　61歳&lt;br /&gt;
*[[ロディオン・マリノフスキー]]　国防相（[[ソ連邦元帥]]）63歳　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[フィデル・カストロ|フィデル・カストロ・ルス]] 議長　37歳&lt;br /&gt;
*[[ラウル・カストロ]]　国防相　31歳&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==参考文献==&lt;br /&gt;
*「核時計　零時1分前」マイケル・ドブス　NHK出版&lt;br /&gt;
*『NHKスペシャル キューバ危機・戦慄の記録 十月の悪夢』NHK DVD&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
* 『[[トパーズ (1969年の映画)|トパーズ]]』&lt;br /&gt;
* 『[[13デイズ]]』&lt;br /&gt;
* 『マチネー 土曜の午後はキッスで始まる』&lt;br /&gt;
* 『[[JFK (映画)|JFK]]』&lt;br /&gt;
* 『[[世界大戦争]]』&lt;br /&gt;
*『[[X-MEN: ファースト・ジェネレーション]]』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[世界終末時計]]&lt;br /&gt;
* [[部分的核実験禁止条約]]&lt;br /&gt;
* [[ロバート・マクナマラ]]&lt;br /&gt;
* [[リスキーシフト]]&lt;br /&gt;
*[[オレグ・ペンコフスキー]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
=== 日本語サイト ===&lt;br /&gt;
* [http://www.maedafamily.com/cuba/index.htm Cuban Missile Crisis]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 英語サイト ===&lt;br /&gt;
* [http://www.gwu.edu/~nsarchiv/nsa/cuba_mis_cri/index.htm Declassified Documents, etc.] - Provided by the National Security Archive.&lt;br /&gt;
* [http://www.whitehousetapes.org/pages/trans_jfk2.htm Transcripts and Audio of ExComm meetings] - Provided by the [http://www.whitehousetapes.org Miller Center's Presidential Recordings Program, University of Virginia].&lt;br /&gt;
* [http://www.armscontrol.org/act/2002_11/cubanmissile.asp#mcnamara Forty Years After 13 Days] - Robert S. McNamara.&lt;br /&gt;
* [http://www.hpol.org/jfk/cuban/ Tapes of debates between JFK and his advisors during the crisis]&lt;br /&gt;
* [http://www.latinamericanstudies.org/missile.htm Cuban Missile Crisis Reunion, October 2002]&lt;br /&gt;
* [http://www.jfklibrary.org/cmc_exhibit_2002.html The World On the Brink: John F. Kennedy and the Cuban Missile Crisis]&lt;br /&gt;
* [http://library.thinkquest.org/11046/ 14 Days in October: The Cuban Missile Crisis] - a site geared toward high-school students&lt;br /&gt;
* [http://www.nuclearfiles.org/menu/key-issues/nuclear-weapons/history/cold-war/cuban-missile-crisis/ Nuclear Files.org] Introduction, timeline and articles regarding the Cuban Missile Crisis&lt;br /&gt;
* [http://www.documentary-film.net/search/video-listings.php?e=21 Cuba Havana Documentary] Bye Bye Havana is a documentary revealing what Cubans are thinking about today&lt;br /&gt;
* [http://alsos.wlu.edu/qsearch.aspx?browse=warfare/Cuban+Missile+Crisis Annotated bibliography on the Cuban Missile Crisis from the Alsos Digital Library.]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{冷戦}}&lt;br /&gt;
{{チェ・ゲバラ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:きゆうはきき}}&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦]]&lt;br /&gt;
[[Category:キューバの歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国の歴史 (1945-1989)]]&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国の国際関係 (1945年-1989年)]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソビエト社会主義共和国連邦]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソビエト連邦の国際関係]]&lt;br /&gt;
[[Category:核戦争]]&lt;br /&gt;
[[Category:キューバ社会主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:キューバ革命]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジョン・F・ケネディ]]&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国の原子力史]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Fromm</name></author>	</entry>

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